「頑張りすぎだから休んだほうがいい」と声をかけて、相手が素直に休むところを、わたしは見たことがない。やりたいことをやっているからとか、寝ているから大丈夫だとかそんなことを言いながら、かけた言葉は脇に置かれてしまう。
しばらくすると、相手は体調を崩す。生活から遠ざかり、生命を維持するための日々を過ごす。回復したら、また流れに戻って走りはじめる。見ていてもどかしい。
休むことがこわい人に、どんな言葉を、時間を贈れば、相手に届くのだろう。
そのヒントを集めるために、こんな問いを用意してみた。本や漫画、映画など。
休むことができなかったあの時の自分に、差し出したいものはありますか?“誰か”のことを考える前に、過去の自分に思いを馳せてみる。
過去のわたしは、現在の誰かと交差するかもしれないから。まずは、わたくしTalk with_ ライティングパートナーのつるが、マグロだったあの頃のことを書いてみようと思います。
生きていると、“自分のことをマグロだと思っている人”にたびたび出会う。
止まったら死んでしまうかのように、動きつづける人のことだ。つねに何かしらのやるべきことを自分に供給し、それでもなお、カレンダーに空白があると埋めたくなる。
3年ほど前まで、わたしもマグロの群れの中のひとりだった。
当時、大学1年生。「今、どんな活動してるの?」と聞かれたときに、返せる回答がいくつも用意されていることがわたしの安心だった。何かに没頭し、どこかに所属して誰かに頼られている間は胸を張っていられる。だけど、どんなことにも終わりはある。自分が空っぽになってしまったような気がして、また次の場所へ。
“履歴書に書いたら映える”を基準に選んだ場所にいても、そこで過ごす時間に胸はときめかない。このとき経験したことは1つ1つがぶつ切りで、いくら肩書が増えても、次はこっちだ!と思う道は見えてこなかった。
何かに没頭するのは、決して悪いことではない。
だけどしんどいのは、ずーっと同じ場所で、泳ぎ続けているように感じること。
景色は変わらず、いつも水の中で、前にいるマグロの背中が見える。
群れの一員でいられる自分が誇らしい。周りからも、すごいね、と言ってもらえる。
このまま身体を動かし続けていれば、みんなが考える“いい会社”に入って、“いい人生”が送れる。でも、いい会社やいい人生って?と聞かれても、答えられなかっただろう。よくわからないものを必死に追いかけていた。
わたしは結局、体力が尽きて強制的に動けなくなった。布団にくるまりながら、回復を待った。バッテリーが0になったら、スマホみたいに充電すればいい。
眠くて仕方なくて、なぜか餃子しか食べられない日々が1ヶ月ほど続き。薬のおかげもあって、わたしはまたぬるっと日常生活を送れるようになった。
体調を崩した根本的な原因について、考えることはなかった。
ま、いいか。元気になったし。それより大学の課題を終わらせないと。春からのインターンにも応募しよう。
そうやって、うやむやにしてしまったのだ。
「ま、いいか」と思ったわたしに、もしも会えるなら。
ちょっと待ったー!と参上し、それは本当にやりたいことなの?一回休んだら?と言ったところで、絶対に、マグロのわたしは耳を貸さない。
人生は動いているか止まっているかのどちらかで、止まるのは(=休むのは)、体力が尽きた時だけ。自分から止まるなんて、とてもできない。死んでしまうと思っているから。
だから、「なんで?もう元気になったんだから、動いてもいいでしょ?」と怪訝な顔をされてしまうかも。「本当にやりたいかどうかなんて関係ないよ」と一喝されてしまうかも。
じゃあ、どうする?
「休んだほうがいい」の代わりに、何を言う/する?
わたしはきっと、まずハグをしてから、はるな檸檬さんのマンガ『ダルちゃん』を差し出すだろう。
次回に続く。